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鑑定コピースペース

逸品ギャラリー

金箔縦筋

逸品ご紹介

​骨董を通して美しき古の世界を旅してみませんか?

実物の醸し出す雰囲気は到底画像ではお伝えしきれませんが、当店で取扱いの品をご紹介いたします。

​ほんの一部ではございますが、ご参考いただけたらと思います。

透かし青海波

【古備前 鐵蟹(てつがに) 香炉】
≪江戸幕末~明治時代≫

縦15cm、横12.7cm、高さ6cm
まるで、本物の立派な蟹がそこにいるかのような~この鐵蟹香炉は、"備前焼"で出来た古い焼き物なのです。
備前焼の細工師が得意とする布袋、獅子等々の置物、香炉の類です。
鐵蟹の菱形に尖った甲羅の中央部に、煙が抜けるために、≪七宝の繋ぎ文≫を透かし彫りをしています。
蟹の爪まで、まるで本物に瓜二つで、実によく出来ています。

鐵蟹

店主鑑定

写真では、この精巧な鐵蟹の~土肌、土味、色彩がどうしても上手く伝わらないのが、とても残念です。
ここまで出来ていれば、香炉として使用しない時でも、床(とこ)を飾る置物としても、十分立派な装飾品として、居住空間を支配することでしょう。
この作品【古備前 鐵蟹(てつがに) 香炉】は、この香炉の周辺の空気をも変えてしまうくらい、誠によい出来栄えの作品ではないでしょうか。

クリーム漉き込み
小魚釜

【小魚釜】名越 弥五郎 造
≪江戸後期≫

江戸名越家は、名越家十一代善正の次男、家昌が、徳川幕府に召し出されて江戸に下り、興した釜師の家です。
江戸名越家は、代々『弥五郎』を通称とし、幕府御用釜師として、幕末まで続き、釜作りは現在も行われています。
この作品【小魚釜】は、七代昌明(初名:建明、号:一釜斎)が製作したもので、文政十年(1827年)に没しています。

店主鑑定

この釜は、≪小魚釜≫と云って、"ちりめん雑魚"を平らに広げて干したようすが、細かなしわをもつ、絹織物の"ちりめん"を広げたように見えることから、この名前がついたように推察します。
蓋には、唐銅盛蓋(からどうもりぶた)の上等な蓋がついています。
茶道具において、釜が重要と云われる所以は、このような地肌・蓋の組み合わせが与える~視覚からきたものは大きいのではないかと思います。

透かし青海波

【青磁 香炉】
≪江戸時代後期≫

径7cm、高さ8cm
摂津国(兵庫県)有馬郡三田町の焼き物です。
享和元年(1801年)兵庫県有馬郡香下砥石谷に、"青磁の釉科"が発見され、地元の豪商「神田宗兵衛」の援助で、"青磁"を焼き始めました。
文化初年<1804年~18年>京都から「欽古堂亀祐(きんこどうきすけ)」を招き、指導を受け、華麗で精巧な≪天龍寺風≫青磁を焼成するまでになりました。

青磁 香炉

店主鑑定

この作品【青磁 香炉】は、"胴部"四面に≪窓≫を設け、浮文の"牡丹花"と、"唐草牡丹"を交互に配しています。
≪口≫は、寄せ口に造っており、その上に、純銀製の波に、千鳥透かし文様の穂屋が付いています。
≪足≫も三ヶ所に付けていて、全体的に、たいへん深みのある和物青磁の優品ではないでしょうか。

クリーム漉き込み
楽 黒茶碗

【楽 黒茶碗】十二代・楽 弘入

径11.5cm、高さ7cm
楽家十二代、楽吉左衛門・喜長(よしなが)は、慶入の長男で、明治4年15歳で相続し、大正8年63歳で剃髪し、「弘入」と号しました。
弘入の前印と称せられる印は、大小2個あり、いずれも”楽”の字の『糸』が数字の8の字に見えますが、この字は「石川丈山」の字です。後期の隠居判は、不動王の炎のようになっています。この字は、紀州「徳川頼倫」候の字です。

店主鑑定

この茶碗の銘は、≪瑞朝≫といいますが、その銘の通り、澄んで、どこまでも朝のように清々しい茶碗です。
釉肌のきれいな漆黒に、緑の抹茶が点てられた様子を思い浮かべると、抹茶の緑を引き立たせて、大変に”茶うつり”が良いことがわかります。
唯一無二の抹茶を喫するためにだけ生まれた、最高の茶碗ではないでしょうか。

透かし青海波

【宝珠形 秋草蒔絵 香合】
高中 隆二(たかなか りゅうじ)作

「高中隆二」先生は、もうすでに亡くなられましたが、広島県三原市に住まれ、活躍されました。
若い時に、有名な「松田 権六(まつだ ごんろく)・人間国宝」に指導を受け、父親で、師でもある「高中惣六(たかなか そうろく)」のもとで学びました。
また、尾道の「小林和作」先生に可愛がられた≪漆工≫でした

宝珠形

店主鑑定

この作品【宝珠形 秋草蒔絵 香合】も、たいへん繊細な仕事ぶりが、いかんなく発揮されている作品だと思います。
漆黒の黒地の上に、藤の花、すすき、女郎花(おみなえし)、等々を蒔絵しているのですが、女郎花の花弁が、八弁ある中の三弁には、青貝が≪螺鈿(らでん=貝を張り付け細工したもの)≫されていて、”変化と雅”が、うまく表現されていて、たいへん上品であり、高級感を感じます。

クリーム漉き込み
連翹に小鳥

【連翹に小鳥】
金島桂華(かなしまけいか) 額装6号

我が郷土の誇る~花鳥画の大家、「金島桂華」先生は、広島県福山市神辺町湯田村に生まれ、≪丸山四条派≫の写生の伝統を"正攻法"で推し進め、最後まで信念を曲げない作家でした。
幼い頃は、あまり家庭的に恵まれなかったようです。そのようなことも有り、15歳の頃から『禅』への傾倒も有り、絵画の技術的な面と同時に、『参禅』に没入するなど~仏教との関わり合いを通じて、人間的な側面の修行を積まれました。

店主鑑定

画家である前に、人としての「道」を求め、『禅』は、桂華先生の実直で穏やかな人柄の形成に、大いに影響しているようです。
この作品【連翹に小鳥】は、金島桂華先生が、「竹内栖鳳」門下で、桂華の先輩の「村上華岳」が芦屋に転居したので、京都市外衣笠村小松原溝口町の「村上華岳」邸を譲り受け、三男の靖も生まれた頃で、桂華先生の若い頃~大正期の後期の作品です。

透かし青海波

【備前 徳利】金重 陶陽・作

高さ12.3cm、径9cm
「金重陶陽」先生の酒器は、特に有名です。
それは、昔から、その筋の茶人・数寄者の間で、人気の高い≪歳忘れ≫という古備前のお預け徳利を、陶陽先生が、所持されていたことで、特に、徳利・ぐい呑みは人気が高いようです。
この作品【備前 徳利】は、昭和30年頃の力作で、形は、鶴首徳利でしょう。
景色は、備前焼の窯変の全てが、この小さな徳利に表れていると思います。

備前 徳利
クリーム漉き込み
赤絵 湯呑

【赤絵 湯呑】加藤卓男≪人間国宝≫

「五代・加藤幸兵衛」の長男として生まれました。
古代ペルシャ陶器の斬新な色彩に魅力を感じ、今日では、滅び去った~幻のラスター彩~の復元をはじめ、宮内庁、正倉院より『正倉院三彩』の復元製作を嘱委されました。
また、学術、及び、芸術文化に寄与した功績により、平成7年に、国指定重要文化財保持者≪人間国宝≫に認定されました。
平成17年、87歳にて逝去されました。

店主鑑定

この作品【赤絵 湯呑】は、赤絵~菊竹紋様~を描いたものです。
古くは、呉須赤絵の鉢などに多い紋様ですが、それを日本的にしたもので、たいへん流暢な筆使いで描かれています。平面でない面に、まるで平面にすばやく描いた如く、とても勢いのある線描きになっています。きっと、長年の修行によるものなのでしょう。

また、"釉薬"の研究にも一層力を入れて、研究された人で、"赤釉"の色彩、"緑釉"のきれいな色彩の中にも、"深い渋み"が伴っていると感じます。

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